切実に"今"を生きる、親愛なる皆様へ
2009/01/05 (Mon) 19:51
平素は格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。
アメリカに端を発した経済的なショックは、瞬く間に全世界を駆け抜け、不景気という名の不気味な影が日本を覆い始めています。リストラや内定の取り消し、トップ交代、設備投資の見直しや企業発の活動停止、縮小など、各メディアでは連日のように暗雲立て込める現実や明るさの見えない未来の話題ばかりが報道されています。黙っていると、僕らのミライは、どう考えても明るくなりそうにはない‥‥。
世情についてとやかく申し上げるのはこの程度にして、2003年3月3日に始動したティー・ベーシックの
初提供作品となる『CHE★チェ』2部作 (Link) が、2009年1月、日劇PLEXほかで連続公開される運びとなりました。ちょっと長くなりますが、ご案内を申し上げます。
2008年3月、六本木のとあるバーで、「スティーヴン・ソダーバーグがチェ・ゲバラを映画にしていることはご存知ですか? 主演はベニチオ・デル・トロ、キューバ革命まで、と、その後のボリビア。どうも2部作になるらしい」と耳打ちされました。翌日、ググって、在りし日の姿から亡骸を目にして驚愕。他人事ではない、何か、ある種の焦燥感に満ちた想いにとらわれ、アマゾンで主要書籍を購入し、俄にゲバラ学習が始まりました。第一部は『アルゼンティナ』、第二部は『ゲリラ』と題されていることも判りました。
2008年5月、第63回カンヌ国際映画祭において、デジタルフォーマットで編集された『CHE』は、約4時間30分の映像を、インターミッションを挟んでの一挙上映というカタチで初披露されます。
エンドクレジットは間に合わず、別刷りされたマガジン風の冊子が配られ、衝撃と戸惑い、その賛否両論の渦中に、ベニチオ・デル・トロとスティーヴン・ソダーバーグの勇姿がありました。人は人によって変わる。まさに、チェの魂のカケラを内包したふたりのクリエイターが、毅然とそこにあったのです。
2008年6月、この映画に対するささやかな出資を決めました。僅か数パーセントのミニマム・パートナー。
何人かに相談すると、誰もが「大変だ」とか「リスクばかりだ」と口を揃えます。でも、不思議なことに、誰一人としてボクの判断を止めようとはしなかった。
2008年8月、先行きが見えない中で、ボクたちのゲリラ活動が始まりました。作家に、書店に、媒体社に、そして自分自身に向けて‥‥。チェの残した日記、数々の写真、盟友フィデルの言葉、評伝など、幾多の書物をまさぐり、旅の支度を始めました。でも、ことは思うようには進まない。プリント到着は遅れ、素材は届かない。公開の時期も定まらないままに、悪戯に時間だけが過ぎていく。そんな毎日でした。
2008年10月、遂に本編が到着。『トラフィック』から8年、自らプロデュースを努めたデル・トロ、その意を受けて前編と後編を全く異なるアプローチで、それぞれが独立した輝きを放ち、同時に分け離つことが出来ない2部作として結実させたソダーバーグ。真摯に生み出された結晶が、遂に届いたのでした。
23歳から24歳へ、『モーターサイクル・ダイアリーズ』で描かれた若きエルネスト・ゲバラ南米大陸の旅。その旅は、彼の生涯を決定的に変えます。
それから約3年後、27歳のゲバラは、メキシコでフィデル・カストロと出会います。
1964年、全世界に向けて戦い続けることを宣言したニューヨーク、国連での伝説となった演説から始まる
"Part-1"『チェ 28歳の革命』は、フィデルと旅立ち、キューバ革命を勝利に導く姿を映し出します。
"Part-2"『チェ 39歳 別れの手紙』は、フィデルへの"別れ"の手紙を残し、ラモンと名乗る男がボリビアに
潜入、それからの日々を追ってドキュメントされる魂の旅路です。その名はやがてフェルナンドに替わり、誰もがチェとは呼ばなくなる。喘息の発作を抱え、負傷者を背負い、何時現れるかも知れないボリビア政府軍(アメリカの肝入り)に追いつめられていくチェとゲリラ部隊。そして、運命の1967年10月9日へ‥‥
2008年11月、遂に『CHE★チェ』2部作の完成披露試写会を実施、水面下の作業はフロントラインでの展開に替わり、デル・トロとソダーバーグ来日の可能性も具体性を帯びてきました。全編がスペイン語で撮影されたことから、先行して公開されたスペインでの大ヒット、トロントやニューヨーク、そしてロスでのプレミアの報も続々到着、いよいよ地に足着いた展開が始まりました。
2008年12月、ハバナ映画祭の後、デル・トロとソダーバーグの来日。前後して、作品をご覧になった人々の反響が聞こえてきました。『CHE★チェ』2部作という事件が、ようやく日本にも届き始めたのです。
事件、連鎖、増幅。
『CHE★チェ』2部作を共有するために決めた、極めてシンプルなコンセプトがこれです。
エルネスト・チェ・ゲバラという人物に対して、ルックスから惹かれたというベニチオ・デル・トロは、『トラフィック』の女性プロデューサーと共に、スティーヴン・ソダーバーグ監督に映画化を相談します。以来、数多くの書物を読み、今も存命するチェと共に生きた人々の声に耳を傾け、彼らが戦った場所を訪れたクリエイターたちは、決して容易くはないスタンスでの映画作りを決意したのです。映画化という事件は素晴らしい作品となって結実、やがて連鎖が始まります。その連鎖のひとつとなるコメントを引用します。
チェ・ゲバラが、生涯を賭して求めたのは、まさに金銭的利益以外の価値だった。人間の精神の自由と社会の公正さ。シンプルで、そして間違いなくもっとも重要なものだった。社会主義イデオロギーを世界に広めるために戦ったわけではない。イデオロギーはツールに過ぎない。どのような苦境にあっても向上心を忘れず、読み書きできる素晴らしさを仲間に教え、負傷した同志を決して見放すことなく、病気を患った住民を親身になって治療した。喘息の発作を起こしながらもキューバとボリビアのジャングルを行軍する
チェ・ゲバラを、この映画は初めて現実化した。それは人類の希望そのものだ。 村上 龍
2009年1月10日には『チェ 28歳の革命』が、31日からは『チェ 39歳 別れの手紙』が連続公開されます。
一人でも多くの人に明日への希望を、生きる勇気を、そして、新たなる旅立ちを!
世の中は変わるのか…、ではない。世の中は、変えるのだ。
髙橋直樹